神鏡なくして光なし。
とまでは言いませんが、太陽ってなくてはならないもの、神鏡は太陽。
光背を差すのはとかく仏教やキリスト教などですが、神道では光背なんてないです。
もし光背をするのであれば神棚を光らすことになりますが、神棚は光らせるもんじゃありません、御札も当然光らせない。

神秘的雰囲気を醸し出す手法に光背があります、後光とも言いますね。
なんでもかんでも光らせればそれらしきものは出来があがるわけですが、神棚は光らせない。
それでは宗教が違う方向に向ってしまう、イメージ先行で勘違いしやすい。
神鏡は扉の前か階段の前に置きます。
ではなぜそこに置くのか・・・何故なんでしょうか。
昔からそうしている、仏様は頭光、身光などの二重光背を昔から形どったものが多い、日本の天照大御神はしていない。
むしろ見えないように扉の中に納まっている。
見させない神秘性・・・。
たまに、神社の扉が開いているから神棚の扉も開けているという人がいますが、神社にはその奥にさらに扉があります。
そこに天照大御神を祀っているので、普通は見えません、見させません。
だから、扉って玄関扉のようなことではないです。
神棚の扉を閉めているのはそのため。
神鏡いろいろ
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- 2013/04/09(火) 08:00:11|
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